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現代書について

「現代書」(もしくは前衛書)というものがあります。 書なのか絵なのか、よくわからないものの代名詞とさえなっています。 また、読めなくては仕方がないという反動から誰でも読めるような 書を書く人も出てきています。
ここでは現代書について私なりの視点で書こうと思います。
ただ、現代書についてはさまざまな意見がありますので、日本を代表する書の団体といわれる 毎日書道会読売書法会、 または日展の サイトで作品などを見て、 また実際に書の展覧会などへ足を運んで考えられると 良いかも知れません。あくまでも管理人の意見です。

1 全く読めない書 前衛書

書の展覧会に行きますと、どうしても読めない書に出くわすことがあります。 それこそ文字には見えない書。「前衛書」と言われる書です。
この系統は戦後になって本格的に出現したといわれます。すごいものになると墨ではなく カーボンを用いたり、ペンキを用いたりと一見すると派手な(?)演出を伴って書かれるもの もあります。
これは、どうもがいても読めません。ややもすればなぞりようがなかったりします。 題名が出ていることもありますが、参考にならないこともあります。 「なぜ、このような表現をするのか?」まずはここから取りかかった方が良いようです。

2 読めるような書 伝統書

いわゆる漢文や和歌などを書くということで、「伝統書」と言われる分野があります。 これはそれなりの教養があれば読めるようにはなっていますが、「小難しい」とよく言われます。 そこで最近は漢字1字で表現したりするものも出てきています。
ここで問題になってくるのは、臨書であるならばともかく、作品としてみるときに、 「なぜこの文(文字)を選んだか」と言う問題が横たわります。そして選んだ文に対して、 「なぜこのような表現をするのか?」と言う問題が出てきます。

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3 やけに読みやすい書 調和体(近代詩文)

前衛書とはまったく逆で、やけに読みやすい書に出会うことがあります。 漢字かな混じりの書であることが多いのですが、たまにローマ字やら英語まで混じっている ものがあります。主に近現代の詩や文が書かれているので「近代詩文」、もしくは漢字かな 混じりの調和からか「調和体」と呼ばれます。
これはとにかく読みやすいです。小難しい和歌や漢文などを書いているわけではありませんから、 書が苦手という方でもとっつきやすい。 しかし、読めるから良いというわけではありません。ここにも「なぜ、このような表現をするのか?」 という問題が出てきます。

4 読めれば、いいのか?

「他人から読めない書を書いても意味がないのではないか」 と言う意見があります。「読めない書」というのは、行書や草書、前衛書など 全てをひっくるめてなのですが、だからと言って読めるものを書けばいい、と言うのは 表現を狭めているとしか言いようがありません。
また、ここで言う「読める」はあくまでも判読できるか否かの世界であり、判読できる もので良ければ、書で表現する必要性自体が怪しくなります。
判読とはあくまでも教養の問題であり、逆に言えば「私はいろいろな書を書けるが、 あえて判読できるような書を書いているのだ」という思い上がりにも見えなくはありません。

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5 読めない書は、ありがたいのか?

時折、「読めないからこそありがたい」という意見に出くわします。これもあくまでも 判読の範囲内に入ってくるのですが、行書などは一定の教養を積めば読めるようになります。 問題は前衛書なのですが、まず判読は不能です。ややもすれば「絵なのか、書なのか」という 疑問にぶつかってきます。
これをどう考えるか。抽象的な意見ですが「そこに言葉が書かれているか」ということを 考えるべきでしょう。書とは言葉を書くことにあり、絵や図形を書くのではありません。 逆に言えば、たとえ絵のように見えたとしても、その中に言葉が書かれているならばそれは 書と言えるでしょう。
但し、その言葉が見えるまでには書のみかたが分からないと見えてきません。 書は、そこまで甘くはないということです。

6 書は、時代の表現

これはたとえなのですが、『古今和歌集』を平安時代の人の心で書くのと、現代人の心で書くのとでは 違います。平安時代の人の心で書くのならば「平安時代の表現としての連綿体」 となる(これがある意味臨書と言うことになるでしょう)でしょうが、 現代人の心で書くとしたら「古今和歌集が現代に至るまでの 1100年」(これがある意味創作となるでしょう)を表現していかなければ 書の表現とは到底いえないでしょう。
また、書は言葉を書くのですから、書き手が言葉の意味もわからずに書くというのは ありえないでしょう。言葉の奥底にあるものを読み、それを表現するのが書ではないで しょうか。

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