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かなとは?

かな

かなは日本独自のモノです。しかし、この源流は漢字です。ひらがなはどのように 生まれ、そして今の姿になったのでしょうか。考えて見ましょう。

1 真仮名(万葉仮名)の誕生

日本現存最古の歴史書・文学書である『古事記』(712年)上巻の冒頭に、
「次に国稚(わか)く浮きし脂の如くして、くらげなす漂へる時、」 という文があります。
原文では「次国稚如浮脂而、久羅下那州多陀用弊流之時」と書いてあります。 注意書きに「流字以上十字以音」とあります。一体、どういうことなのでしょうか。
これは、流という字から久という字までの十文字は、音で読め、ということになります。 これでもわかりにくいです。もう少しくだけた言い方をすれば、この十文字は、漢字の意味を無視して、 音読みしなさいということです。ようは、当て字ということです。
確かに、訳をしますと、 「次に国がまだ若く、まるで脂が水に浮いたような、くらげが漂うような姿の時に」となるので、 前半は漢文読み、後半は和文読みということになります。
この、和文(当て字)で書いたところを真仮名(楷書体でかいたかな)、もしくは『万葉集』から 名をとって、万葉仮名といっています。まだひらがなは現われず、その前段階のモノです。

2 真仮名から草仮名へ

平安時代初期になると、日本では楷書は段々と使われなくなっていきます。 それとともに真仮名も段々と使われなくなり、草仮名というものが使われるようになります。 草仮名の草は草書の草の意味で、くずした形のことです。 例えば、伝小野道風「秋萩帖」をみますと、「安幾破起乃…」と書いてありますが、 「あきはぎの…」と和歌が書いてあるわけです。万葉仮名と違う点は、楷書で書いてあるか、 草書で書いてあるか、の違いです。ですが、この違いが大事で、ひらがなへのステップとなっているわけです。

3 かなの誕生

かながいつ生まれたのか?実は謎です。一説には弘法大師空海(774〜835)といわれていますが、 根拠はありません(空海がいろは歌を作ったという説があります)。
日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』ができたのが905年ですから、これまでには成立していると思いますが、 何せこの時代の書が残っていないのです。日本史で言う遣唐使廃止が894年、ここがターニングポイントでしょうか。
草仮名をさらにくずした姿がかなとなるのですが、きっと一字一字独立していた姿だと思われます。 藤原定家(1162〜1241)が紀貫之(?〜945)の直筆の『土佐日記』を写しているのですが、 その最後には定家が紀貫之の書き方どおりに写したと記しています。それを見る限りでは(定家の癖のある 書き方を除いたとしても)一字一字書いていたのではないかと思います。

4 連綿・変体仮名

かなを読む上で一番困難にしているのは、連綿というものです。どこからどこまでで一字なのか、区切れないもの ですから、読めないということがあります。 また、変体仮名というものがあります。例えば「あ」ひとつでも「亜、阿、安」とあるように、現代のように「あ」は「あ」 だといえないのです。これがまた面倒です。 しかし、連綿はかなの美を形成しているものですし、変体仮名もなくなったのが明治時代ということを 考えると、連綿していて、変体仮名を使っていて当たり前の時代が長かったわけです。
確かに、私も読めないことは多々あります。ですが、そういう時は連綿の美しさを味わうようにしています。 あとは字書頼みです。
また、この連綿というのが言葉の流れを表現しているといっても過言ではないのです。 『枕草子』や『源氏物語』は、かなと連綿がなければ生まれなかったのではないかと思います。
かなは、日本文化の結晶といってもいいでしょう。

5 かなの繁栄と形式化

かなが一番美しさを持っていたのは平安時代中期です。4でも書きましたように、『枕草子』や『源氏物語』 の完成したころはかなが一番美しかった時期でしょう。
ですが、楷書とは何者?でも書いたように、かなの書き方も形式化していきます。ややもすればディフォルメしたような、 そんな書き方も出現します。
そしてかなは漢字に溶け込みだします。その象徴が「御家流」という、江戸時代の公用書体となったものです。 どういうことかといいますと、それまで漢字は漢字の書き方、かなはかなの書き方とあったものが、だんだんと一緒になってきた ということなのです。文学の世界でいえば、和漢混交文というものにあたります。
例えば『平家物語』は和文のリズムと漢文のリズムが一体化しています。相反するものが一体化しているわけです。 それは書の世界も同じで、公の書体である漢字と私の書体であるかなが一体化したといえるのです。
今でこそ漢字かな混じりは当たり前のように思えますが、鎌倉時代まではそうではなかったのです。

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