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呂尚〔太公望〕(ろしょう 〔たいこうぼう〕)

呂尚

○撮影場所
富山県射水市 新湊曳山祭立町山(背面衣桁)
○制作年代:嘉永3(1850)年以前

太公望といえば釣り。見分け方の参考になるかはともかく 釣りをしているのは太公望と見ていいかもしれない。
ちなみに写真における波は青海波文様、松は唐松。
※参考図版周の文王、太公望と出会う

■概要
紀元前11世紀ごろ。中国周時代の軍師。
西伯(周文王)が待ちわびた軍師であるが、伝説に包まれており、 詳細がつかめない。
別名太公望。エピソードから転じて、釣り人の意にも使われる。

■図像
・林守篤『画筌』(正徳2【1712】年自序、享保6【1721】年刊)

出典・参考

・『十八史略』(徳間文庫版1)
「呂尚という者あり。東海のほとりの人なり。窮困して年老い、漁釣して周に 至る。西伯(周文王)まさに猟せんとし、これを卜す。曰く『龍にあらずチ(蛟のこと)にあらず、 熊にあらず羆(ひぐま)にあらず、虎にあらずヒ(豹のこと)にあらず、獲るところ は覇王の輔ならん』。果して呂尚に渭水の陽(きた)に遇う。ともに語り大いに悦び て曰く『吾が先君太公より曰く、まさに聖人ありて周に適(ゆ)くべし、周因りて もって興らんと。子は真にこれなるか。吾が太公、子を望むこと久し』。故に これを号して太公望という。載せて与(とも)に倶(とも)に帰り、立てて師となし、 これを師尚父という。」

・『懐風藻』藤原宇合の詩「不遇を悲しむ」(講談社学術文庫版『懐風藻』)
周占 逸老を載せ 殷夢 伊人を得たり(前半部分は文王が占いで太公望を得た故事を指す)
※藤原宇合:〜737 藤原不比等の3男。藤原式家の祖。

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