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周の文王(しゅうのぶんおう)

文王

○撮影場所: 富山県富山市 八尾曳山祭今町山の金鶏障(後屏)
○制作年代:慶応3〜明治7(1867〜1874)年

文王と言ってもそう言われなければわからない。敢えて言うならば「聖王」と いわれることにちなんだ鳳凰(右側)と麒麟(車を曳く)の彫刻が象徴となるか。
なお、この姿は文王が呂尚(太公望)を迎えに行く姿という。
※参考図版 周の文王、太公望と出会う図

■概要
周の文王(紀元前11世紀ごろ)は中国周王朝の創始者、武王の父。文王は諡で西伯という。
時代は殷(商)王朝末期、紂王(ちゅうおう)の時に当たり、文王自身は 王朝を立てたわけではないが、善政を敷き、また領土を広げ、有望な軍師 として呂尚を迎え入れた。このことから周の武王から文王と言う名が贈られた。

出典・参考

・『懐風藻』田辺百枝の詩「春苑 詔に応ず」(講談社学術文庫版『懐風藻』)
唐鳳 台下に翔り 周魚 水浜に躍る (唐が尭を指し、周が文王を指す)
※田辺百枝:生没年未詳
・同上 采女比良夫の詩「春日宴に侍す 詔に応ず」
道を論ずれば唐と儕(ひと)しく 徳を語れば虞と隣(なら)ぶ
周の尸(かばね)を埋む愛に冠し 殷の網を解く仁に駕す
(唐が尭、虞が舜、周が文王、殷が湯王を指す)
※采女比良夫:生没年未詳
・同上 藤原宇合の詩「不遇を悲しむ」
周占 逸老を載せ 殷夢 伊人を得たり(前半部分は文王が占いで太公望を得た故事を指す)
※藤原宇合:〜737 藤原不比等の3男。藤原式家の祖。

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