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行書・草書とは? その1

行書・草書というのは最近では使われなくなりました。特に草書は特殊技能と化しています。
そして、読めない書の代名詞ともされてきています。
戦前までは幅を利かせていましたが、使わなくなると忘れ去られていくものです。
では、行書・草書とは何者でしょうか。
ここではその1として、隷書から楷書にいたるまでの草書・行書をとりあげます。
1 隷書のはや書き
篆書から隷書にかけては「篆書とは何者?」、
「隷書とは何者?」をそれぞれ御覧願うとしまして、草書は隷書の
はや書きから生まれたものです。最初は篆書に比べて速く書けた隷書も、だんだんとかたちが伴う
(波磔などがそうです)と、いろいろと制約が出てきました。
そんななか出てきたのが草書です。はじめは木簡や竹簡に書かれていましたが、紙が登場する
とともにその活躍の場を広げました。
2 横画の右あがり
篆書、隷書まで横画は水平でした。また、転折も例えば「口」という字を書くならば4画で 書いていました(今現在は3画で書きます)。ところが、草書ははや書きが第一でしたので、 その勢いで横画は右に上がりますし、隷書などに比べれば回転運動が多くなりました。つまり、 筆で速く書くということが重視された結果です。この右あがりは重要でして、のちの行書、楷書にも踏襲されます。
3 速く書かない草書=行書
草書は重宝される書き方となりました。例えば書聖といわれる王羲之(おうぎし 303?〜361?)
の残した書(といっても真筆はひとつも残っていません)のほとんどは草書体の手紙です。しかし、正書体
としては依然隷書がありました。いくら重宝されても、正式なものを書くときは隷書であったのです。
ところが、草書は正書体の道を歩むことになります。草書が幅を利かせるようになったとでも言いましょうか。
しかし、あくまでも草書は隷書のくずし。そう簡単には正式な書き方にはなりません。そこで速く書かない草書が生まれます。
それとともに、隷書までいかずともしっかりした字体が生まれます。それが行書です。
そして行書は徐々に正書体になろうとしていきます。「龍門造像記」と呼ばれる一連の石碑群(490年前後)が
ありますが、一見すると楷書体に見えますが、じっとみていますとスピードある行書の姿です。よく北魏(386〜534)時代
の書は厳しいものといわれますが、あくまでも第一印象です。
そしてそれは当時の紙に書かれたものを見れば一目瞭然です。
4 そして楷書へ
行書・草書は「トン・スー」「スー・グー」という二折法のリズムで書かれます。スピード感のある、はや書き感が抜けきらない
ところは否めません。行書は石に刻されるまでいきましたが、まだ隷書にはかないませんでした。そこで、隷書よりは書きやすく、
しかし、正書体に相応しい書体ということでうまれたのが楷書です。
楷書は「トン・スー・トン」という三折法のリズムを持ちました。石に刻しても隷書に見劣りせず、東アジア最大の帝国に相応しい
書体です(詳しくは楷書とは何者?を御覧下さい)。
ところが、楷書が正書体になった時、再びはや書きの書体が求められてきます。続きはその2へいきましょう。