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行書・草書とは? その2

行書・草書とは?その1では隷書から草書が、草書から行書、そして楷書にいたるまでの歴史について 書いていきました。その2では楷書がくずされ、再び行書・草書が出てくる過程についてです。
1 楷書のはや書き
楷書という正書体がうまれたかと思えば、再びはや書きの書体が求められるようになりました。行書・草書が
楷書をくずした行書・草書の登場です。
実はここに行書・草書は2種類あるといえるのです。草書のくずしを見ますと、どう考えても楷書からくずしたものと、そのように見えないものとあります。
また、やけにくずし方が豊富なものもあります。
つまり、隷書→草書→行書というパターンと、楷書→行書・草書というパターンとがあるわけです。
そしてそれは、「トン、スー、トン」の三折法のリズムによる行書・草書の誕生といえるのです。
2 草書が狂う?
草書といいますと、大体の方は「とにかくつながっている書き方」と連想される方が多いかと思います。しかし、この書き方(連綿)
は初唐時代以降に出てきたものです。その1で紹介した王羲之(おうぎし 303?〜361?)の書には連綿が見られるものの、せいぜい2字程度ですし、
あくまでも1字1字がくずされている程度だったのです。
ところが懐素(かいそ)の書いた自叙帖(777年)をみますと、言葉が連続して出てくるかのように、書き連ねられています。書くことが楽しいかのように変幻自在
な姿をしており、ややもすれば狂ったかのような書です。狂った草書「狂草」と呼ばれたりします。
しかし、でたらめに書いているかといえばそうではなく、一字一字くずしの原則に忠実な姿です。
3 書は、どこまで表現できるか?
ちょっと難しい書き方をしましたが、行書・草書は正書体から一歩退いている書体ですから、
公の場所に使われない代わりに、表現の自由を獲得しました。懐素の自叙帖にもそれは見えますが、
それが特に顕著であるのは北宋(960〜1127)における
蘇軾(そしょく 1036〜1101)、黄庭堅(こうていけん 1045〜1105)、米フツ(べいふつ・フツはくさかんむりに市 1051〜1107)
の3人でして、宋の三大家といわれています。これを境として「表現としての書」
に問題が移っていきます。
例えば、何か書きたいことがあるとしましょう。それをどのように書くか。
先にあげた三人はまさに三者三様、見れば誰の書かがすぐ確定できるくらいの個性です。
また、彼らは中央から一歩退いた、もしくは退かざるを得なかった人たちでした。
時を経て、明(1368〜1644)の時代になると、それがもっと顕著になります。
はや書きのための書体から、表現への書体と変貌していったのです。