○撮影場所:富山県富山市 八尾曳山祭今町山
○制作年代:慶応3〜明治7(1867〜1874)年
右側、青い服を来た子が閔子騫。男性は実父。左は継母とその連れ子。
■物語(中国二十四孝)
閔子騫は実母を早くに亡くし、実父は再婚、継母は2人の連れ子を伴っていた。
閔子騫は継母にかわいがられず、寒い日は蘆の穂を詰めた服を着させられる始末。実父は
それに耐えかね離別しようとするが、閔子騫は「離別してしまえば私を含めた3人の子が
寒い思いをする、(別れなければ)私だけ耐えて、2人の子は暖かい思いができる」と言った。
それを聞いていた継母は感じ入り、隔てなく可愛がられるようになったという。
・中国二十四孝 閔子騫(日本古典文学大系『御伽草子』)
閔子騫、いとけなくして母を失へり。父また妻をもとめて、二人の子
をもてり。彼妻我子を深く愛して、継子を憎み、寒き冬も、蘆の穂を取て、
着る物に入れて着せ侍る間、身も冷て、たえかねたるを見て、父後の妻を
去らんとしければ、閔子騫がいふやうには、「彼妻を去りたらば、三人の子寒かる
べし。今我一人寒きをこらへたらば、弟の二人は暖かなるべし」とて、父を
諌めたる故に、これを感じて継母も、後には隔てなく、いつくしみもとの母と
同じくなれり。只人のよしあしは、自らの心にありと、古人のいひ侍りける
もことはりとこそ思ひ侍る。