○撮影場所:富山県富山市 八尾曳山祭今町山
○制作年代:慶応3〜明治7(1867〜1874)年
年老いた母に向かって孝を尽くす姿。人の上に立つ者が孝を尽くせば、
庶民もまた住みやすい世になるということを示している。
■物語(中国二十四孝)
漢文帝(前202〜前157)は前漢の5代皇帝にあたり、正式には孝文帝という。
二十四孝では唯一の皇帝で、年老いた母に孝を尽くす姿が語られる。
皇帝たるものが孝行を実践するからこそ、天下も治まり、下々に至るまで孝行が広まり
世の中が豊かになる、と締められている。
・中国二十四孝 漢文帝(日本古典文学大系『御伽草子』)
漢の文帝は、漢の高祖の御子なり。いとけなき御名をば、恒とぞ申し侍りき。
母薄太后に孝行也。よろづの食事を参らせるる時は、まづ自らきこしめしこころみ
給へり。兄弟もあまたましましけれども、此みかどほど、仁義を行ひ孝行なるはなかりける。
此故に、陳平、周勃などいひける、臣下達王になし参らせたり。それより漢の文帝と申し
侍りき。然に孝行の道は、上一人より下万民まで、あるべき事なりと知るといへども、
身に行ひ、心に思ひ入ることはなりがたきを、かたじけなくも四万余州の天子の御身として、
かくの如きの御ことわざは、たつとかりし御志とぞ。さる程に、世もゆたかに
民もやすく住みけるとなり。