○撮影場所:
滋賀県大津市 大津祭殺生石山
○制作年代:―
謡曲「殺生石」から取材されたもの。鳥羽天皇の寵姫、玉藻前(実は九尾の狐)が
殺された後、毒を吹き出す石に変化したという。それを退治したのが玄翁という。
後ろに見えるのが玉藻前。からくりによって狐面に変わる。
■概要
嘉暦4(1329)年〜応永7(1400)年。南北朝時代の曹洞宗の僧。
玉藻前が死して変化した殺生石は毒気を吹き出し、多くの命を奪っていた。
玄翁が殺生石の前で祈ると狐の精が出てきて、その供養に感謝し、消える。そして玄翁が杖で
殺生石を叩くと三つに砕け、飛んで行ったという。
このことから物を叩く工具(特に金槌)を「げんのう」とよぶようになったという。
・謡曲「殺生石」(野上豊一郎編『解註謡曲全集6』)
木石心なしとは申せども、草木国土悉皆成仏と聞く時は、もとより仏体具足せり。
況んや衣鉢を授くるならば、成仏疑ひあるべからずと、花を手向け焼香し、石面に向つて仏事をなす。
汝元来殺生石、問ふ石霊、いづれの所より来たつて、今生かくの如くなる。急急に去れ去れ
自今以後、汝を成仏せしめ、仏体真如の善心となさん。摂取せよ。