○撮影場所:愛知県半田市 協和地区西組協和車
○制作年代:昭和5(1930)年
児島高徳、楠正成と南朝関係が並んでいる中でこの人物だけが
わからないが、楠の霊夢を見ている後醍醐天皇と推定したい。もしくは、流罪される時の姿か。果して、
そんな姿を装飾に使うだろうか。
■概要
正応元(1288)〜延元4(1339)年。第96代天皇。
鎌倉幕府討幕、建武親政の中心にいた人物で、それに至るまで流罪や廃位に
遭いながらも楠正成や足利尊氏の協力を得て進めていく。
建武親政失敗後、足利尊氏の離反に遭い、吉野へ逃亡。これより100年の間、
京都の朝廷、吉野の朝廷という南北朝時代となるのである。
写真は、推定となるが後醍醐天皇が楠の霊夢を見ている姿。『太平記』では2人の
童子とあるが、この彫刻では童子とは言えない姿である。また、図像的に言えば、後醍醐天皇
の特徴である長い髭だけがこの彫刻に現れているだけなので、もしかすると他の人物なのかも
しれないが、この山車には児島高徳、楠正成と並んでいるので、後醍醐天皇と推定した。
・『太平記』