○撮影場所:東京都葛飾区 柴又帝釈天(題経寺)帝釈堂
○制作年代:大正末期〜昭和9(1934)年
■概説
写真左上は井戸掘りの喩えである。高原で井戸を掘る、どれだけ掘っても水が出ないからと
諦めず、さらに掘ると徐々に湿り気のある土が出てくる。さらに掘れば泥が、そして水が出る。
これは信心を喩えているのであり、一本の道を信じ抜けば必ず菩薩に、そして仏になれるという喩えである。
写真左下は法華経を説く者に対して聴くものが誰もいなければ、釈尊が鬼神などを
派遣して聞かせるというものである。
写真中央にいるのは普賢菩薩。法華経を信仰する者を守ると言う誓願を立てている。
写真右下は法華経を説く者は如来の加護が受けられると言う姿である。
つまり、この場面は法華経を信仰する心構えと、信仰に対する加護が描かれているのである。
・『法華経』法師品第十(岩波文庫『法華経』中)
薬王よ、たとえば、人あり、渇乏して水をもとめんとして、彼の高原を
穿ちほりて、これを求むるに、猶、乾ける土を見れば、水、なお遠しと知るも、
功を施すことやまずしてうたた、湿える土を見、遂に漸く泥に至れば、その心は
決定して水、必ず近しと知るが如く、菩薩もまた、また、かくの如し。
・『法華経』法師品第十(岩波文庫『法華経』中)
もし説法者にして、しずかなる処にあらば、われは時に広く、天・竜・鬼神・
乾闥婆・阿修羅等を遣わして、その説法を聴かしめん。
・『法華経』法師品第十(岩波文庫『法華経』中)
薬王よ、まさに知るべし、如来の滅後に、それよく書持し、読誦し、供養し、
他人のために説く者は、如来はすなわち、ために衣をもってこれを覆いたまい、
又、他方の現在の諸仏に護念せらるることをえん。
・『法華経』普賢菩薩勧発品第二十八(岩波文庫『法華経』下)
その時、普賢菩薩は仏に白して言わく「世尊よ、後の五百歳の濁悪の世の中に
おいて、それこの経典を受持する者あらば、われはまさに守護してそのわずらいを除き、
安穏なることを得せしめて、伺い求むるにその便を得る者なからしむべし。」