○撮影場所:富山県富山市 八尾曳山祭今町山
○制作年代:慶応3〜明治7(1867〜1874)年
子を埋めようとして土を掘ったところ、黄金の釜が出土。
・郭巨の姿:郭巨百態
■物語(中国二十四孝)
郭巨には母と妻と子がいた。しかし家は貧しく、食事にも困っており、
郭巨の母が郭巨の子に食事を分ける有様だった。郭巨はこれを悔やみ、母への孝行
を優先し、泣く泣く子を土に埋めようとして穴を掘る。そこで出てきたのが黄金の釜
だった。
天が郭巨の母に対する孝行を感じ入り、与えたものだったのだ。
このことによって子を埋めることなく母に孝行出来る様になった。
・中国二十四孝 郭巨(日本古典文学大系『御伽草子』)
郭巨は河内と云所の人也。家貧して母を養へり。妻一子を生て、三歳になれり。
郭巨が老母、彼孫をいつくしみ、わが食事を分与けり。或時郭巨妻に語様は、「貧ければ、
母の食事さへ心に不足と思ひしに、其内を分て孫に給はれば、乏かるべし。是偏にわが子の
有りし故なり。所詮汝と夫婦たらば、子二度有るべし、母は二度有るべからず。とかく此子
を埋て母を能養度思ふ也」と、夫婦云ひければ、妻もさすが悲しく思へ共、夫の命に違はず、
彼三歳の児を引つれて、埋に行侍る。則郭巨涙を押て、少堀たれば、黄金の釜を堀出せり。
其釜に不思議の文字すはれり。其文に曰、天賜孝子郭巨不得奪民不得取と云々。此心は、
天道より郭巨に給程に、余人取べからずと也。則其釜を得て喜、児をも埋ず、友に帰、
母に弥孝行を尽せるとなり。
・『今昔物語集』巻第9の1「震旦の郭巨、老いたる母につかまつりて黄金の釜を得たること」