○撮影場所:愛知県半田市 岩滑地区・義烈組八幡車
○制作年代:大正時代 出羽看龍
十二支の一体として仁田四郎を入れる、とても珍しい姿。
後ろ向きに猪に乗る、というのが特徴。
■概要
仁安2(1167)〜建仁3(1203)。新田、日田とも。名は忠常。
源頼朝、頼家に仕えた武将。源範頼に従軍して平氏追討に参加、
曽我兄弟の敵討ちで兄の曽我祐成を討ち取る、比企の乱にて比企能員を謀殺するなど活躍
したが、最期は加藤景廉に謀殺される。
装飾彫刻や錦絵に使われる逸話として、富士の巻狩りで大猪を討ち取ったとか、
富士の狩場の洞窟を捜索したという話が使われる。
・橘守国『絵本故事談』(正徳4【1714】年)(神谷勝広校訂『和製類書集』2001年 国書刊行会)
仁田忠常は豆州の人なり。頼朝興起の始したがつて石橋山に赴く、又海東にも海西にも戦功を励さずといふことなし。
しかのみならず曽我の祐成に戦勝、比企の能員を執戮す。嘗聞ふ忠常頼家の旨を承て富士の厳穴に入〔俗に人穴と云〕、従者
皆死し忠常独命を全して還ると。又いはく忠常頼朝に富士の狩に従て、野猪の猛く忿れるを拘へて刺殺と。
世に図するうしろざまに猪にまたがりたる図これなり。