○撮影場所:
栃木県日光市 日光東照宮陽明門
○制作年代:寛永13(1636)年
陽明門人物彫刻正面左から四番目(中心)のモノ。
訴訟人の訴えを聞いている場面。
■概要
周公旦(紀元前11世紀ごろ)は中国周王朝の立役者の一人。
父は周文王、兄は武王。武王死後、成王の摂政となり、支える。
有名なエピソードとして、人の訪問を受ければ洗髪・食事を中断してでも
すぐ応対するという握髪吐哺(あくはつとほ)の故事があり、写真はそれを示している。
・『十八史略』(徳間書店版『十八史略』1)
周公、成王に誨うるに、王に過ちあればすなわち(周公旦の息子である)伯禽
を鞭打つ。伯禽、封に就く。公これを戒めて曰く、「われは文王の子、武王の弟にして、
今王の叔父なり。然るにわれ一沐に三たび髪を握り、一飯に三たび哺を吐き、起ちて
もって士を待つも、なお天下の賢人を失わんことを恐る。子、魯にゆかば、慎みて国を
もって人に驕るなかれ。」