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ヤマトタケル

ヤマトタケル

○撮影場所
石川県金沢市金石夏祭曳山の御神体
○制作年代:昭和初期か
・ヤマトタケルの姿:ヤマトタケル百態

■概要
『古事記』『日本書紀』に登場する伝説の英雄。12代景行天皇の子。
『古事記』と『日本書紀』では若干の記述が違うが、九州から関東の遠征を経て、 大和へ帰る途中に亡くなる。亡くなった後は白鳥になって空高く羽ばたいていった。
実際は大和朝廷の事業を一人の英雄に仮託したものと思われる。
なお、謡曲『草薙』は金光明最勝王経の威徳を讃えるものであるが、ヤマトタケルと オトタチバナヒメが草薙剣の由来を話す場面がある。

出典・参考

・『古事記』中巻(倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫 1963年)
(ヤマトタケルがクマソタケル兄弟を討とうとして)ここにその楽(うたげ)の日に 臨(な)りて、童女の髪の如その結はせる御髪を梳(けづ)り垂れ、その姨(をば) の御衣御裳を服して、既に童女の姿になりて、女人の中に交り立ちて、その室の内に 入りましき。
・同上
(相模の国造に火攻めにあったとき、)ここにまづその御刀もちて草を苅り撥ひ、その 火打もちて火を打ち出でて、向火を著けて焼き退けて、還り出でて皆その国造等を 切り滅して、すなはち火を著けて焼きたまひき。
・関連:日本神話

・謡曲「草薙」(野上豊一郎『解註謡曲全集6』)
夷(えびす)四方の囲みをなし、枯野の草に火をかくれば、余焔頻りに燃え来たり、 遁れ出づべき方もなく、敵攻鼓をうちかけて火焔を放してかかりけるに、尊剣を抜いて、 あたりを払い忽ちに、焔も立ち退けと、四方の草も薙ぎ払えば、剣の精霊嵐となって、 焔も草も吹き返されて、天にかがやき地に充ち満ちて、夷の陣に吹き暗がって、猛火は 却って、敵を焼けば、数万の夷ども、皆焼け死にてその跡の、おきは積もって山の如し。 (中略)世を治め給いし草薙の剣はこれなり。

・正徳4(1714)年『絵本故事談』巻之五 日本武尊(『江戸怪異綺想文学大系』3)
十六歳の時、筑紫熊襲の大将川上梟帥を欺て刺殺し、其一族を亡し、又東国征伐の 詔を承て趣給ふの日、道を枉て伊勢太神宮に詣、叢雲の宝剣を請得て、遂に駿河国に至り 給ふ。其所の賊徒いつはりて随ひ計を以て野草に火を放ち尊を焼殺んとす。尊佩所の宝剣 をぬきて、其傍の草を薙攘ひ給ふ。ここにおいて免るることを得、火はかへつて賊徒を焼、 是より宝剣を草薙となづけられたり。

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