○撮影場所:愛知県半田市下半田地区 東組山王車
○制作年代:大正年間 初代彫常
強弓の使い手で、その強さは軍船を沈めるほどだったという。写真の彫刻も
それを表現している。
■概要
保延5(1139)〜嘉応2(1170)年。平安時代末期の武将。源頼朝の叔父にあたる。
保元の乱で崇徳上皇に味方して敗北、伊豆大島に流罪となる。流罪になったものの生まれつきの
乱暴者であったために大暴れし、追討を受け、自害。
武勇伝は数多く、琉球王になった、軍船を沈めた、あまりの強さから江戸時代、疱瘡除けの
お札になったなど、枚挙にいとまがない。
その武勇伝については、『保元物語』に詳しい。
・『保元物語』(岸谷誠一校訂『保元物語』岩波文庫)
一陣の舟に、究竟の兵三百余人、射向の袖をさしかざし、船を乗かたぶけて、三町ばかり渚
ちかくおしよせたり。御曹司は矢比すこしとほけれども、件の大鏑取てつがひ、小肘のまはる
程引つめてひやうとはなつ。水ぎは五寸ばかりおいて、大舟の腹をあなたへつと射とほせば、
両方の矢目より水入りて、舟は底へぞまひ入ける。