○撮影場所:富山県富山市 八尾曳山祭今町山
○制作年代:慶応3〜明治7(1867〜1874)年
丁蘭の父母の木像を生けるがごとく祀る姿。妻は驚いているように見える。
■物語(中国二十四孝)
丁蘭は早くに父母を亡くし、孝行ができなかったことを悔やんで
父母の木像を作り、生きているように祀った。
ある日の夜、丁蘭の妻が火で木像の顔を焦がしてしまった。すると
木像は瘡ができ、膿んでしまいった。それを放置していたところ、妻の頭髪が
刀で切られたように落ち、妻は木像に詫び続けたのですが、どうにもならなかった。
そこで丁蘭が木像を大通りに移し、妻に3年間詫び続けさせたところ、木像は
ひとりでに家に戻ったという。
・『今昔物語集』巻第9の3「震旦の丁蘭、木の母を造りて孝養を致せること」
・中国二十四孝 丁蘭(日本古典文学大系『御伽草子』)
丁蘭は、河内の野王と云所の人也。十五の年母に後れ、永別れを悲しみ、母のかたち
を木像につくり、生ける人に仕へぬる如くせり。丁蘭が妻、ある夜のことなるに、火をもつて
木像の面をこがしたれば、瘡の如くにはれ出で、うみ血流れて二日を過しぬれば、妻の頭の髪が、
刀にてきりたる様になりて落たる程に、驚ひてわびごとをする間、丁蘭も奇特に思ひ、木像を
大道へ移し置き、妻に三年わびごとをさせたれば、一夜の内に雨風の音して、木像は自ら内へ
帰たる也。それよりしてかりそめのことをも、木像のけしきをうかがひたるとなり。
かやうに不思議なる事のある程に、孝行をなしたるは、類少き事なるべし。