『太平記』はいわゆる南北朝の動乱期を書いた軍記物です
が、話が南北朝の動乱から急に脱線し、中国の古典や日本神話が挿入され
ることがあります。これに注目していくと、人物主題の装飾に使われている
話が多いことに目がつきます。
ここでは『太平記』における中国の古典から、装飾に使われている
表題を取り上げていこうかと思います。
『太平記』は江戸時代に流行したといわれます。江戸時代には「太平記読み」なる
芸能者がおり、太平記を読むということが職業として成立していました。
また、初等教育のテキストとしても使われていましたし、講談などでも
人気を博していました。歌舞伎なども太平記の影響の強い演目がいくつかあります。
このことを考えると、『太平記』に出てくる話が人物主題の装飾に使われていると考えても
不思議ではないかと思います。
『太平記』は2000人超の登場人物のうち、350人
が中国人だというデータがあります(『太平記1』119〜120ページ)。そのうち
登場回数5回以上の人物が示されており、順にあげると
項羽・漢高祖(劉邦)・孔子・張良・樊カイ・唐玄宗・周武王・秦始皇・
唐太宗・安禄山・魏徴・韓信・楊貴妃・紀信・周勃・章邯・管仲・光武帝・秦穆公・
勾践・諸葛亮・孫子・殷紂王
と、これだけの面々が揃っています。これには漏れていますが黄石公
や菊慈童、尭、舜なども『太平記』に登場します。
『太平記』では文章装飾の手段として例えば武将には「樊カイのようである」 というように、政治では「尭・舜の時代のように」というように使われます。中国と比べて 日本は・・・という感じです。 また、話をまるまる挿入してくる場合があります。たとえば「呉越戦の事」というように、 『太平記』とは直接関係ないのですが、「このようなことは昔の中国であったことである。 その話は・・・」というようにすっと挿入されてくるのです。
さて、これだけの登場人物から装飾として使われているのは限られてきます。
今まで私の見てきた限りですが、項羽や安禄山はまずありません。悪役や
悲劇の死を遂げた者(例外もあります)は、装飾としては使われません。
ただ、これも例外なのですが、君主への戒めとして敢えて始皇帝や
殷紂王が使われることがあります。
ちなみに私の見てきたなかですが、『太平記』に登場する中国人物で装飾として
使われている人物は次の通りです。
孔子・張良・黄石公・樊カイ・周武王・太公望・
諸葛亮・尭・舜・菊慈童・許由・巣父・楊貴妃
『太平記』で登場する中国人物は、何も『太平記』にのみ出ているのではありません。 孔子は言わずもがな儒教の創始者ですし、張良と黄石公、菊慈童は謡曲に使われています。 また、諸葛亮は『三国志演義』でも1,2を争う人気スター。ですから『太平記』が直接 人物装飾のもととなった、とはいえませんが、ヒントになったと位置づけることはできるか と思います。
問題は、曳山彫刻などに中国的なものが多用されているわけですが、
どれだけの人が原典を読んでいたか。江戸時代の庶民は現代から考えると中国の知識が
非常にあったといわれています。当然中国のモノをそのまま読んでいた人もいるでしょう。
しかし、『太平記』などのほうが気軽に読めるのは確か。江戸時代の情報の流れ方、
教養については今一度考えてみる必要がありそうです。
参考文献
長谷川端 校注・訳
新編日本古典文学全集54〜57『太平記1〜4』1994〜1998 小学館