○撮影場所:京都市東山区 瀧尾神社
○制作年代:天保10〜11(1839〜1840)年
組み合わせは雲。体つきを見ると鱗のある体(丸紋の場合が多いが)と蛇腹、四本足から麒麟
と判断したいが、頭部は鳳凰のようにくちばし、冠毛がある。
しかも、四本足であるが、明らかに脚は鳥の形状である。
鳳凰と麒麟を合体させたとでも言うのだろうか、それとも瀧尾神社に特別関係ある霊獣なのだろうか。
2015年5月19日付フェイスブック「装飾彫刻探訪」の記事にてこの霊獣を紹介した
ところ、だんじりでみかけた、堺市の踞尾八幡神社にあるという意見が寄せられた。
名称は「ヒイ」と伝えられているという。管理人自身確認はしていないが、
たしかに酷似した図像である。ちなみに「ヒイ」とは「肥遺」と書き、中国の古典である「山海経」
にその姿が記されている。
『山海経』自体は江戸時代に出版されていたというから、あっても不思議ではなかろうか。
以下に現代語訳であるが引用する。
・紀元前5〜3世紀『山海経』第二 西山経(高馬三良訳平凡社ライブラリー『山海経』1994年)
蛇がいる、名は肥イ(虫遺)、六つの足、四つの翼、これが現れると天下大いに旱(ひでり)する。
鳥がいる、その状は鶉の如く、黄色い身で赤い喙、その名は肥遺。
これと照らし合わせると、脚の数の違い、翼がないなど相違点が見られるのでこの彫刻が肥遺であるという
断定はできない。また、挿絵を見ると龍のような姿をしており、一致しない。
しかし、候補として肥遺とすることはできると思う。
もう少し類例を見てみる必要があるが、「謎の霊獣」から一歩進んだのではないだろうか。