○撮影場所:富山県南砺市 城端曳山諫鼓山(神像
全身の姿はこちら)
○制作年代:享保元(1716)年
諫鼓鳥(鶏に太鼓の組み合わせ)があれば尭王であることは確実。
残念ながら装束はあてにならず、伝承や曳山などに伝わる記録をもとに
推測していくしかない。
・尭の姿:尭百態
■概要
中国三皇五帝時代の聖王。中国では舜王(しゅんおう)と並んで理想の王とされる。
写真にある太鼓は、諫鼓(かんこ)と言い、
人民が尭王に不満があるときに鳴らすものだったが、
誰も鳴らすことがなかったので、鶏が棲み始めたという姿。
これが転じて閑古鳥という言葉が生まれた。
尭王がいなくても、諌鼓のみが使われるパターンがある。
・『論語』「泰伯第八」(岩波文庫版)
「大なるかな、尭の君たるや。巍々として唯だ天を大なりとなす。唯だ尭これに
則る。蕩々として民よく名づくること無し。巍々としてそれ成功あり。煥としてそれ文章あり。」
・同「憲問第十四」
「己を修めて以て百姓を安んずるは、尭・舜もそれ猶これを病めり。」
・同「尭曰第二十」
(尭が言うには)「ああ、爾(なんじ)舜、天の暦数、爾の躬(み)にあり。
まことのその中を執れ。四海困窮。天禄永く終えん。」
・『十八史略』(徳間文庫版『十八史略』1)
帝尭陶唐氏は、伊祁姓なり。あるいは曰く、名は放勲と。帝コクの子なり。
その仁は天のごとく、その知は神のごとく、これに就けば日のごとく、これを
望めば雲のごとし。
・『懐風藻』紀麻呂の詩「春日 詔に応ず」(講談社学術文庫版『懐風藻』)
天徳 尭舜を十にし 皇恩 万民を霑(うるお)す
※紀麻呂:?〜705
・同上 藤原不比等の詩「吉野に遊ぶ」
昔 汾后(ふんこう 尭のこと)に同じく 今 吉賓を見る
※藤原不比等:658〜720 藤原鎌足の子
・同上 伊与部馬養の詩「駕に従ふ 詔に応ず」
帝尭 仁智に叶ひ 仙蹕(せんひつ) 山川を玩(もてあそ)ぶ
※伊与部馬養:生没年未詳
・同上 田辺百枝の詩「春苑 詔に応ず」
唐鳳 台下に翔り 周魚 水浜に躍る (唐が尭を指す)
※田辺百枝:生没年未詳
・同上 石川石足の詩「春苑 詔に応ず」
今日 徳を忘るるに足れり 言ふことなかれ唐帝の民と (唐が尭を指す)
※石川石足:667〜729
・同上 采女比良夫の詩「春日宴に侍す 詔に応ず」
道を論ずれば唐と儕(ひと)しく 徳を語れば虞と隣(なら)ぶ
周の尸(かばね)を埋む愛に冠し 殷の網を解く仁に駕す
(唐が尭、虞が舜、周が文王、殷が湯王を指す)
※采女比良夫:生没年未詳