氷見祇園祭 南中町山
氷見祇園祭南中町山は1938(昭和13)年にあった大火で焼失(御神体などは無事でした)
してしまい、1976(昭和51)年に復興したものです。その時参考にしたのが新湊市
放生津曳山祭の荒屋町山だそうで、当時の姿はよくわかりません。
装飾ですが、鉾留は千成瓢箪、
御神体として孔子、
前立人形は曾子、顔子、唐子。
正面の欄間には牡丹(内高欄)、獅子舞と唐子(外高欄)、
ジャバラには十二支のうち蛇、羊、猿。幕押上段は波と獅子(四面とも)、
幕押下段は波に龍(四面とも)、幕は唐子遊び(四面とも)、幕の周りには
高欄があり、この下に獅子の彫刻(四面とも)。
背面の衣桁は中国人物(モチーフ不明)、
欄間は牡丹、中国人物(武人など、内・外高欄)、
ジャバラには十二支のうち牛、鶏。
右面欄間は牡丹、中国人物、鳳凰(内高欄)、
中国人物(外高欄)、ジャバラには十二支のうち
鼠、兎、
馬、猪。
左面欄間は牡丹、中国人物、鳳凰(写真撮れず 内高欄)、
中国人物(外高欄)、
ジャバラには十二支のうち犬、虎、
龍。
中国人物が何のモチーフかがわからないもので、今のところは何ともいえませんが、
復興とはいえ、曳山の心―贅を尽くす―が今に生きている姿といえましょう。