○撮影場所:富山県射水市
新湊曳山祭新町山(御神体)
○制作年代:天明8(1788)年以降
組み合わせは武内宿禰。女性でありながら
鎧をまとい、弓矢を持つ。朝鮮出兵時のイメージである。
■特徴
・女性
・甲冑をまとい、弓矢を持つ。
・装束は後世のものなので注意
・神功皇后の姿:神功皇后百態
・組み合わせ:武内宿禰
・関連:日本神話
※参考図版:神功皇后・武内宿禰・応神天皇三人揃い
■概要
『古事記』『日本書紀』に登場する14代仲哀天皇の皇后。息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)
という。仲哀天皇が琴を弾き、神功皇后に神が乗り移り、発せられた言葉を武内宿禰
が聞くという姿が『古事記』に書かれている。
仲哀天皇亡き後、朝鮮半島の新羅を攻め、服属させたという。
その後生まれた応神天皇が八幡神とされたため、八幡神の母として祀られる。
戦前には、武内宿禰とともに紙幣の肖像に用いられた。
・『古事記』中巻(倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫 1963年)
(仲哀天皇亡き後に下った神託)「凡そこの国は、汝命の御腹に坐す御子の知らさむ国
なり。」とさとしたまひき。ここに建内宿禰、「恐(かしこ)し、我が大神、その神の
腹に坐す御子は、何れの御子ぞや。」と白せば、「男子ぞ。」と答へて詔りたまひき。
・『八幡愚童訓』(日本思想大系20『寺社縁起』岩波書店 1975年)
皇后、既に敵国に向はせ給ふ。その御事がらゆゆしき大将軍と見へ給ふ。御長九尺二寸、御歯は一寸五分に
光あり。御歳は三十一、芙蓉の膚柔(はだへやはらか)に媚びて力も坐さず、初春の風に靡くなる青柳よりも
たをやかに、羅綺の衣猶重き事を機婦に妬むべし。況や甲冑を帯び、弓箭に携わりますこと、いつか習はせ給ふべき。
されども緑の御髪びんづら取り、からわげて御冑を着し、柔軟の御手に多羅樹の真弓、八目の鏑矢を持給ふ。(中略)
最も物細き御腰に太刀を帯(は)き、都羅畳を踏み、御足に藁沓を着、紅の御裳の上に唐綾威の甲を奉る。
(片仮名を平仮名に改めた)