○撮影場所:富山県富山市 八尾曳山祭諏訪町山
○制作年代:明治18(1885)年
滝(水)と耳を洗う男性がいれば確実。巣父がセットとしてあるので、
区別はしやすい。
■概要
中国三皇五帝時代、尭王の治世にいた隠者といわれている。
尭王は帝位に相応しい人物を探していた。その候補の一人が許由だったが、
それを聞いて山籠りしだす。尭王はそれでも許由に位を授けようとするが、それを聞いた許由は
耳を洗い出した。許由にとって位は汚らわしいものであり、それを聞いた耳が汚れたというので、
耳を洗ったのである。
この水の流れが巣父の話につながっていく。
・『荘子』逍遥遊篇 第一(岩波文庫版『荘子』)
(許由が尭に言うには)「帰休せんかな君よ、予(わ)れは天下を用て
為す所なし。」
・『徒然草』第十八段(岩波文庫版『徒然草』)
唐土(もろこし)に許由といひける人は、さらに、身にしたがへる貯(たくは)へもなくて、
水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に
懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬(むす)びてぞ水も
飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。
・『太平記』巻第31「虞舜孝高の事」
長谷川端 校注・訳 新編日本古典文学全集58『太平記4』46〜47ページ
(尭が誰かに帝位を譲ろうとして許由の名を聞きつけ)帝尭これを聞き給いて、
すなわち勅使を立てられ、御位を譲らるべき由を仰せ出だされたりけれども、許由
ついに勅答を申さず、剰え松風渓水の清音を聞きて爽やかなりつる耳の、富貴尊栄の
事を聞きて汚れたる心地悪しさよとて、潁川の水に耳を洗うところに、同じ山中に身を捨てて
居たりける巣父と云う賢人、牛を牽きてこの川の水を飼いけるが、許由が耳を洗うを見て、
「何事に耳を洗うぞ」と問いければ、許由、「帝尭、我に天下を譲らんと承りつる間、耳汚れて
覚ゆる程に洗うなり」と答えければ、巣父首を掻き、「さればこそ、この水の例よりも濁って」
見えつるを、何故やらんと覚束なく思いしが、この事にてありけり。さように汚れたる耳を洗い
たる水をば、牛にも飼うべきようなし」とて、牛を牽き帰りけり。