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源義経【牛若】(みなもとのよしつね・うしわか)

牛若

○撮影場所:富山県南砺市 福野曳山新町(本座)
あまりにも有名な牛若。ところが見る機会は北陸ではここだけ。

■概要
1159〜1189。平家追討の最大の功労者 とされながらも兄である源頼朝と対立、遂には自害して生涯を閉じるという、 悲劇のヒーローとされる人物。それゆえかさまざまな物語を生み、 日本史の中でも最も有名、かつ判官びいきと言われる元となったくらい人気のある人物の一人でもある。

・物語(橋弁慶)
武蔵坊弁慶は五条天神で丑の刻参りをしていたが、五条の橋で 小太刀で人を切る少年の話を聞き、討ち取ろうと五条の橋へ行く。
牛若は五条の橋で人を待っていたが、そこを大薙刀を持った弁慶が 現われた。牛若は女性の装束をしていたので弁慶は無視したが、そこを 牛若が大薙刀を蹴り上げた。ここに二人の決闘が始まるが、牛若の動きに なす術もない弁慶は降参。牛若と主従の誓いを果たすのである。
・関連:能の人物

出典・参考

・謡曲「橋弁慶」(野上豊一郎編『解註謡曲全集5』)
言葉をかけんと思へども、見れば女の姿なり。われは出家の事なれば、思ひ煩ひ過ぎて行く。
牛若かれをなぶつて見んと、行き違ひさまに薙刀の、柄元をはつしと蹴上ぐれば、 すは、しれ者よ物見せんと、薙刀やがて取り直し、薙刀やがて取り直し、いで物見せん、 手並の程と斬つてかかれば牛若は、少しも騒がずつつ立ち直つて、薄衣引き除けつつ、しづしづと 太刀抜き放つてつつ支へたる薙刀の、きつさきに太刀打ち合はせ、詰めつ開いつ戦ひしが、何とか したりけん、手許に牛若寄るとぞ見えしがたたみ重ねて打つ太刀に、さしもの弁慶合はせ かねて、橋桁を二三間、しさつて、肝をぞ消したりける。

・正徳4(1714)年『絵本故事談』巻之五 源義経(『江戸怪異綺想文学大系』3)
又牛若五条の橋にて千人切といふことをせられし時、弁慶行向て、其剣術をかくし、 君臣の約をなせりとてゑがきて橋弁慶といふ。其余義経の行跡、さかろ、弓ながし、 くまさか、あたかの関などさまざまありて、図するにいとまあらず。

※弁慶が千本の刀を集めていたと言う話は『義経記』によるものである。

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