○メモ
紺屋町曳山はもともと小型の曳山だったようで、「小さき山」と呼ばれていたそうです。
ところが明治時代になって隣町の大門町(現在は射水市)川原地区に譲渡(大門曳山祭り
として今もあります)、新造したという歴史があります。
上から順に装飾を見ていきますと、標識は振鼓、もともとは剣太鼓といっていたそうですが、
振鼓と書いた記録が出てきたのでそう称しています。
王様はヤマトタケル、前人形はそれにあわせて和様の人形を据えています。もとは
漢の高祖が王様だったそうですが、日清戦争(1894〜95)の時に改めました。
左右上段の彫刻には梅・松・菊、背面の鏡板には陳楠(『新湊の曳山』では
鉄拐先生悪魔祓いの図としているが、曳山彫刻での重複はまずありえない)が彫られています。
中段彫刻に目をやると、堆朱仕上げで蝦蟇仙人(前面)、瓢箪から駒(張果老、向かって右)、
鉄拐先生(魂を吐く、背面)、林和靖?(向かって左)がいます。
飾金具は歌仙と歌をモチーフにしたものと十二支をモチーフにしたものがあげられ、特に
十二支の飾金具は緻密な彫がされています。
全体的に中国的な姿なのですが、歌仙金具や王様の変更など、少しばかり日本風なところ
が入り混じっており、曳山の趣向の変遷が窺えてきます。